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フィレンツェの空の下アルノ河は流れる 


フィレンツェ
きのうの作品にはアルノ河が流れていたけど、きょうの作品には見当たらないんだ。ミケランジェロ広場の中腹から描いているからね。


この街を描こうと思うと、どうしても<ドオゥモ>の存在が必要になってくる。だから広場の上から見たり、中腹から見たり、右から見たり左から見たり・・・<あとは秘密だよ>。ほかの街だったらもっといろいろな顔があるんだけどね。     


  街がかげろう見たく見えていた                                  


     遠くこだまする鐘の音も ゆきずりの風も                          


        時の狭間の<いま>の中にあればいい                                                     


                              淳一


僕はイタリアに行くと、自分の持ち物も土産もほとんどこの街で買うんだ。ミラノやベネチアは物価が高いし、ローマはいろいろあるようで買い物がしづらい<もちろんいい店はたくさんあるんだろうけどね!>僕の買い物エリアはシニョール広場からベッキオ橋あたりまでの洋品店が中心なんだ。特にネクタイ、スカーフなんかいい物が揃っているからチェックして欲しいね。それに、この街のフェンディも好き。


で、きょうのメイン!!このレストランは本当に美味い!!ルネサンス時代の料理も出すっていうからねえ。僕はこの街で展覧会をした時に地元の絵描きに連れて行ってもらって以来通っているんだけど、フィレンツェの芸術家たち御用達のレストランで会員制になっているんだ。でも<日本で評判を聞いて来た>って云えばきっと入れてくれるよ<団体だと駄目かも>。とくにイノシシ肉のスパゲッティーがお薦めかな!?                              


LA PENTOLA DELL’ORO   Firenze via di mezzo,24/rosso                      Tel 055/241808 241821


是非 試してほしいな。


では、アルノ河の上を流れる心地よい風があなたにも届きますように!!          


                                       


 


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フィレンツェは今日も碧空 

フィレンツェ
僕はこの10年来イタリア風景を中心に仕事をしている。当然のことのように、取材旅行もイタリアってことになるのだけれど、本当はポルトガルやスペインやギリシャもイタリアに負けない位に大好きなんだ。


そもそも僕は「ポルトガルを描く作家」としてデビューしたんだよな。それが2001年の<日本におけるイタリア年>の頃から<イタリア大使館文化部>にご後援をいただいて展覧会をするようになり、いつの間にか<イタリアフェアー>なんかにたくさん呼ばれるようになり、「イタリアを描く作家」ってのが定着してしまったようなんだ。もちろん<フィレンツェ>なんか<リスボン>と並んで僕の一番好きな街だから、<イタリア=荒木淳一>って思ってくれてもいいんだけど<ポルトガル>も憶えておいて欲しいんだ。


ところで、最近この<イタリアフェアー>って云うのもだいぶ減ってきたなあ。それに、ちょっと前には<韓流>っていうので韓国ブームがあって「先生、韓国の絵を描いてください」なんてことを言われたこともけっこうあったけどね。<最近はブームが去ったのかな?だって、言われなくなったもん>


展覧会やってて、僕のファンのみなさんはやっぱ<荒木淳一のイタリア>を観に来て下さっているんだって最近よく感じるんだ。でも、これが案外難しい。2回3回と回を重ねていくと<少し違った物を描いてください>なんて事を云い出す<輩>が必ず出てくる。そりゃあプロの作家である限り<観てくれる方に心地よさを届ける義務がある>と僕は考えているから<フーム>と思ってしまう。<素人さんなら好きな物を描いて、好きな値段を付ければいいんだけどね>。それに僕の展覧会の作品構成は<イタリア>だけじゃなくって<フランスもポルトガルもスペインもギリシャもオーストリーも、時として日本も>いろいろ混ざっているんだけどね。


でも最近は<フィレンツェをたくさん描いて来てください>なんて声をあちこちで聞くようになってきたので、めげずに<フィレンツェ=荒木淳一>で行く決意なんかを軽く固めているんだ。

自由への旅立ち 


溜息橋


ここのところベネチアには毎年のように取材にでかけている。だけど、なぜか長いこと<溜息橋>は見るだけで渡ることはなかった。もちろんこの橋の使途は知っていたし、興味もあったのだけれどね。でも、2000年に<荒木淳一と行くイタリアスケッチ旅行>という日本旅行のミレニアム企画で行った時、添乗員に案内されて初めて渡ってみたんだ。そんなところ結構あるんだよ。バチカン美術館なんかも、その時に初めて入ったんだ。


ご存知のように、運河を挟んで向かって左が裁判所で右が刑務所。そしてその二つを結ぶのが<溜息橋>ってわけなんだけど。この刑務所は強固なもので、過去に脱獄に成功したのは彼の有名な<カサノバ>ぐらいのものだと云うんだ。でも、いまは刑務所には使われてないから、脱獄を試みる人もいないだろうから、この<伝説>は永遠だろうな。で、僕はこの左から右への<有罪が決定して裁判所から刑務所への>人の移動を<拘束へのベクトル>と考えたんだ。


それに対して<溜息橋>の下を流れるプチカナルの流れを<自由へのベクトル>として考えて、一艘のゴンドラが明るく輝く未来に向かって進んで行く姿を描いてみたんだ。でもその行く手は<海>ではないんだ。幾多の細い運河を通り抜け大運河に<グランカナル>たどり着く。そしてその<グランカナル>から<海>へと・・・。<輪廻>だね。<自由と拘束>のクロス。<拘束のベクトル>からはもう<輪廻>には戻れない。漕ぎ手は振り返ることなく前へ前へと進んで行く。僕は海寄りのもうひとつの橋の上から、傍観者としてその景色<交差>を眺めているんだ。


だけど、僕らの<自由のベクトル>は一方向じゃないんだ。<右>でも<左>でも、<前>でも<後ろ>でも好きな道を歩いて行けるんだよ!

若かったなあ!! 

ギリシャにて


このあいだM君とギリシャを旅した話を書いたんだけど、実は今日登場していただく愛知大学の河原誠三郎教授にもご同行いただいたんだ。と言うより河原教授の発案でこの旅が決まったと云った方がいいかな。


この写真は時々アルバムを引っ張り出してはほくそ笑んで見るんだ!!僕は10代の終わりから30近くまでこんな髪型をしていたんだよ。でもやっぱ日本じゃ馴染まなかったな!!ヨーロッパじゃ黒人やアラブ人にも受けたし、白人にもまあまあだったんだけどね。きっと、胸に架けた十字架がよかったんだな。


だから、いまもよく若者がすごい格好しているの見かけるけど<可愛いな>って思うよ。自由に出来る時は自由がいい!!どこまで自由に出来るかがその人の実力かなってね。


かく云う僕も<自由人>って言われつつ・・・・・面影なくなったもんな。<昭和は遠くなっちゃったんだな>なんて思いつつK教授お元気ですか!?僕も元気にやってますよ!!そうそう、M君何年か前に日本に帰って来ましたよ!あれから韓国人の奥さんもらって、また別れて、日本人やフランス人と同棲を繰り返して、結局自由人にも飽きて帰って来た見たいんです。僕、僕は相変わらず地道に描いてますよ。






ベネチアに浮かぶ白い舟 

ベネチア


ベネチアの街の美しさはいまさら云うまでもないだろう。どれくらいの日本人が毎年この街を訪れているんだろう。テレビや雑誌や本やラジオや、それに口コミも含めると<ベネチアの街の>膨大な量の情報が飛び交っているんだよな。それでもやっぱり実際の街の空気や光や風や匂いや・・・直接感じなくっちゃ言い表せないものがたくさんあると僕は思うんだ。


何年か前にパリのオルセー美術館の前で並んでいる日本人とこんな会話をしたことがある。その人は時間がないのでどうやって廻ろうかってちょっと困っていたんだ。僕はオルセーにはよく通っていたので、その人の観たい絵を聞いて「この部屋とこの部屋から廻るといいですよ」って教えたんだ。すると「いや私はこっちから見ます。ガイドブックにそう書いてありますから」なんて一巡されてしまったんだ。その人の持っている時間で廻り切れるはずないんだけどね。その人はHow  to本<ガイドブック>読んでもう経験したような錯覚をしているんだよね。「ここの店美味しかったよ」なんて話をすると「その店なら知ってるよ!」なんて云う人よくいるんだけど、その人の話をよくよく聞いて見ると<テレビで見た、本で読んだ>なんてことがけっこう多いんだ。自分で行って、自分で食べて、自分でお金を払って初めて「その店知ってるよ。安くて美味しいんだよ!!」なんて言えると思うんだけどね。


僕の好きなベネチアの一つを絵にして見たんだ。静かな水面に浮かぶ白い小さな舟を裏通りで見つけたんだよ。人知れず静かに浮かんでいたんだ。<ほとんどの人が見過ごしてしまうんだろうな>って思ったけど、清純そうなその舟に僕は惹かれたんだ。まず右手の奥の方にその舟を配してみた。本当は主役なんだけど、あまり自己主張してはよさが伝わらないだろ。建物の窓が二つ、これがどうしても主役に見えてしまうんだよな。でもただの暗い窓じゃちょっと寂しすぎる。だから小さな鉢植えの花を一つだけ置いてみたんだ。大きくしてしまうとホントにその花のほうが主役になっちゃうからね。


静かな水面をず?っと見ていくと奥の方にささやかで可憐な白い小さな舟がある。ふと気が付くと窓辺に花もあったんだってね。


こんなのが僕の好きな風景なんだよ。



夏の恋人 


アテネ


僕はここのところずっと九州を廻っていたので、気分はすっかり真夏になっているんだ。そしてこの季節になると・・・何故か竹内まりやの「夏の恋人」って曲が頭の中で流れ出すんだよ。この曲のイメージはちょっとリッチなシティーホテルのプールサイドなんだけどね・・・僕のイメージはそこからエーゲ海へと続いて行くんだ(^^)


「夏の恋人」。。。僕はそういう趣味はないんだけど親友と呼べるM君と旅して歩いた・・・その年の夏がきっと僕の一番の夏なんだろうと思うんだ<正確にいうと5だったから・・・まだ夏にはなっていなかったんだけどね>!!

その前の年にM君と僕はパリの<その頃僕はパリで暮らしていたんだ>日本食料品店で知り合ったんだ。。。その店ではラーメンやメンチかつ定食なんかよく食べたなあ。。。彼はギャンブルがとても好きで・・・よくシャンゼリゼのカジノのルーレットで負けては一文無しになって・・・コルビザールの僕のスチュディオまで夜中に歩いて来たもんだよ(x_x)


ある晩のことなんだけど・・・例によってM君は負けてやって来たんだ。。。ところがいつもとちょっと様子が違うんだよ・・・ず?っと黙ったままでボーっとしていた。。。それから突然を流し出したんだ。。。僕はそのわけを聞くべきか迷ったけど結局聞いたよ・・・もうずいぶんと昔のことだから細かいことは忘れたけど・・・こんな話だった。。。<当時彼はまだ21歳で京都のD大学を休学して留学してたんだけど・・・実はもう年上の女性と学生結婚していて娘さんもいたんだ。。。だけど彼女と離婚をしたので日本を飛び出してパリに来ていたんだ。。。離婚したわけはまでは聞けなかったよ!!

ところがけさ日本から・・・離婚した奥さんが彼の子を流産したと言う手紙が届いたと言うんだ・・・「男の子だったって!!知らなかった・・・」そう言うと彼はただただ泣きじゃくっていた。。。で・・・その夜僕らはボジョレを半ダースも空けて・・・二日酔いになるほど飲んで彼の息子の深夜の埋葬をしたんだ!!


そんなことがあって・・・僕はM君の傷心旅行ってのに付き合って初めてのギリシャ旅行に出かけたんだ。。。ペロポネソス半島を列車で一周して・・・オリンピアでは古代オリンピック競技場のトラックをドイツ人に混じって走って・・・南端のカラマタの蒸せるような熱気に包まれて・・・酔っ払って夜通し踊って・・・それからエーゲ海のクルーズを楽しんだんだ(^^)

その夏の海の色・街の熱気・・・それが僕の夏のイメージになったんだよ。。。

僕の夏の絵にはそんな思いがいつもいっぱい詰まっているんだ・・・これはその夏の僕<右>とM君だよ・・・けっこう気に入ってる写真なんだ!!



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